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「模写をしすぎると自分のオリジナルのタッチが損なわれるのか?」という長話。

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もうめんどくさいから最初に言うわ。

はいこんばんこんちばんにわ。一月ぶりの私です。
先月の記事で来月はサッカーのことでも書くかーとかほざいてましたが、本日はちょっと別に書きたいどうでもいいことがあるのでそっち書きます。最近の海外組どうもぱっとしないしねえ。カガワさんも暴れまくるのはもうちょい先になりそうだし、ドイツ組も調子いまいちだし。


本日は「模写」についてのお話です。

全国のおえかき大好きな方々に向けてのお話になりそうですね。興味無い方ははなくそでもほじっててください。あとあくまで個人的な考えなので注意ね。

模写ってのはあれです、他人の絵をそっくりに書き写すことですね。
おえかき力の上昇にはとても重要な手法です。私も模写は大好きです。ヒマと余裕がある時はせっせともしゃもしゃしてトレーニングします。
でも全国の絵描きの方々の中には、こう考えてる方が結構いると思います。


「模写をしすぎると、自分のオリジナルのタッチが損なわれるのではないか?」


こういう懸念があるので、あんまり模写はしたくないという方、いるんじゃないかと思います。
実は私も昔そうでした。だから模写もせず、周りに自分より絵がうまい奴もあんまいなかったので、調子に乗って修練を怠っていました。過去に戻って自分に蹴りを入れたいです。

確かに、好きな絵師さんの絵を模写をしてると自分の絵はだんだんその人の絵に似てきます。
そのまま続けるとその人の絵とそっくりになってしまうので、その対策として、複数の絵師さんの絵を模写すると良い、とされています。

しかし、色んな有名な絵師さんの絵をとっかえひっかえ参考にして、いつしか自分の本当の絵がなんだったのか、分からなくなってしまった――と嘆く方もいらっしゃるようで。言われてみるとなんかそんな気もします。自分の絵。自分のオリジナルのタッチ。重要ですよね。模写をしていると、それが失われてしまうのでしょうか。


というわけで、今回は「模写をすると自分のオリジナルのタッチが損なわれるのか?」という問題について、私なりの考えを話してみようかと思います。


結論から言うと「多分そんなことはねーからいくらでも模写しろや!」なんですけどね。


さて、模写しすぎるとオリジナルのタッチが損なわれるかもしれない、ということですが、そもそもオリジナルって一体何でしょうか?

独自の。自分だけの。この世に一つしかない。イコール必然的に、新しい。そんな所でしょうか。そういうものを作るのが、我々漫画家など、クリエイターの仕事です。
んで、私はオリジナルというものは、大きく2種類に分けられると考えています。


一つは、創造によるオリジナル。正真正銘、この世で誰も作ったことがないものを創造する、オリジナルです。0の中から1を作り出す、真のオリジナルです。


もう一つは、組み合わせによるオリジナル。0から1を創造するのではなく、1と別の1を足し合わせて、3にしてしまうようなオリジナル。既存のものを複数組み合わせることによって、新しいものを作り出すというオリジナルです。


そんで私は、この世に存在するオリジナルと呼ばれるものは、ほとんどが後者――「組み合わせによるオリジナル」だと思うのです。そろそろ書いてる私もオリジナルがゲシュタルト崩壊してきましたが、負けません。


例えば漫画で考えてみましょう。江戸時代が舞台の漫画。それはそれはこの世にはたくさんあるでしょう。バスケットボールの漫画。それはそれはあっちにもこっちにもあります。
でも、「江戸時代を舞台にバスケットボールをする漫画」は、そうそう無いんじゃないでしょうか。
少なくとも私は見たことないです。あったら教えてください。是非読みます。(江戸時代にサッカーしにいく話は、イナなんとかブンにあったような気がするんだよな…こわいわ…)
あったら、「おお、まったく意味が分からんが新しい!」と言われることでしょう。立派なオリジナルです。


このように、この世に腐るほど溢れているもの同士でも、組み合わせによっては立派なオリジナルとなり得る、というわけです。

そして、この世のオリジナルって大抵組み合わせによるものだと思います。
私の漫画だって魔法ファンタジーと美少女と筋肉質のおっさんを合体させただけのシロモノです。
魔法ファンタジー世界はこの世に存在しないかもしれませんが、あんなもんだいたい中世ヨーロッパの町並みに空飛ぶドラゴンとかを合体させた世界です。
ドラゴンだってトカゲとヘビを合体させて羽を生やしたという生き物です。
この世の創造物は、だいたいは既存の何かを掛け合わせて作ったものなのです。

例えばあなたの頭の中で、誰も考えたことのないような素晴らしいアイデアが思い浮かんだとしましょう。
でもそれだって、無の中から誕生した究極のオリジナルとは限りません。あなたが今まで生きてきた中で、見たもの、聞いたもの、体験したもの…那由他の数のそれらの要素が存在して、それらの中のいくつかが合わさって、誕生したものなんだと思います。

まあ人間の脳のことはよく知らないので、もしかしたら何の組み合わせでもないような、この世のどこにも存在しない究極のオリジナルが、神の啓示のごとく突然頭に舞い降りたりすることもあるのかも知れません。でも多分それってそんなに頻繁にあることじゃないと思うので…

まあそういうわけで、この世の大抵のオリジナルは、「組み合わせによるもの」だと思うのです。


でだ。最初の話に戻りましょうか。

模写をすると、確かにその人の絵に似てきます。では、複数の絵師の絵を模写するとどうでしょうか。
大好きなAさんの絵と、B先生の絵と、C画伯の絵を模写しましょう。すると、あなたの絵はAとBとCを合体させたようなタッチになるでしょう。その組合せは、この世の絵師の誰とも違う好みかもしれません。もう一人ぐらい加えればもう一致する人はなかなかいないでしょう。


それが、あなたのオリジナルのタッチなのです。


確かに模写をすれば、今まで自分が書いてきた絵とは変わってしまうかもしれません。
でも、多分あなたが今まで書いてきたタッチも、大好きなあの人の絵や、この人の絵に憧れて、こんな風に絵が描きたいと思って、一生懸命見ながら書いた――そんな色々な人の絵が組み合わさって出来たものだと思うのです。
模写することは、そのいくつもの組み合わせの中に、新しいピースを加える。それだけのことだと思うのです。


どんなに沢山模写しても、どんなに多くの人の絵を真似しても、
あなたの今書いているその絵が、あなたのオリジナルのタッチです。


勿論、「私は今まで誰の絵も真似たことがない!これからも自分独自の絵に深化していくのだ!」というスゲー人だって中にはいらっしゃるでしょう。そういう方にまで、模写はいいぞ、と薦めようとは思いません。

ただ、そうでない人で、絵がうまくなりたいけど自分の絵が失われそうだから、模写はしたくない…そう思っている方がいたら、ちょっともったいないかな。ということを、私は言いたかっただけです。


そういうわけなので、みんなガンガン模写しようぜ!
というか半分くらい自分に言ってます。もっと模写したいです。絵―うまくなりたいんでーす!!こんちくしょい!!

長々とクソ真面目なことを書いてしまいましたが、たまにはいいよね。あくまでこれは私の個人的な考えです。あと徹夜明けの夜に謎のテンションで書いているので、とんでもなく間違ったこと書いてるのかもしれませんが、許してください。むにゃむにゃ。んではー


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